意味はあります。
神経発達症群などの心理療法の場合、むしろ必須です。
~以下、長文です~
もちろん、課題を抱えるご本人の来談が望ましいのは当然ですが、例え本人が来談せず、家族やパートナーだけが来談するといった場合でも意味はあります。
何らかの問題が生じている時、環境がその問題を作る一端となっていることは多いものです。(これを「環境因」と言います)
家族心理学では、問題を個人に帰属させるのではなく、家族(環境)の中にある問題が、その個人に象徴的に表れている、と考えます。
家族の誰か/集団全体にとっては「当たり前/常識」になっている言動の中に困ったパターンがないか分析し、あった場合、そのパターンを変化させるよう努めると、問題改善に役立ちます。
周囲が本人(問題を象徴する人:以下略)への関わり方を変える事で、本人にも変化成長が生じるということは、実は多くあるものです。
むしろ家族をはじめとする集団への心理教育が必須という場合もあり、例えば、神経発達症群や摂食障害、統合失調症などがその例です。
周囲の協力が得られない場合、本人に望ましい変化成長があろうとも、それが環境因によって挫かれ、状態の改善が進まないことすらあります。
ペアレント・トレーニング(親教育)などは、環境調整に大きな役割を果たし、機能を障害されている本人の改善に繋がる代表例です。
しばしば、子供の問題に困っている親さんから、「問題はこの子にあるのだから、私が来る意味は無い」などといった言葉が聞かれますが、これは大きな誤解です。
特にご家族の方々が、「彼/彼女の問題」ではなく、「自分達の問題」と認識し、変化成長して行こうと努めることは、非常に有益です。
改善する力というものは、ご本人と家族(環境)の中にあるものです。臨床家の仕事は、その力を引き出し、一層に強化することにあります。
主役はあくまでも本人と家族(環境)なのです。
なお、決して「本人以外の家族成員/環境だけに問題の責任がある」という意味ではありません。
そうではなく、本人以外の家族成員/環境にも、とても大きな改善要因がある、ということです。
「本人か家族か」ではなく、「本人も家族も」ということなのだと考えていただけると良いのではないかな、と思います。