カウンセリングで傷付くことってあるの?

 

 あります。

 

 ~ 以下長文です ~

 

 しかし、その傷付き(正確には来談者に生じる全ての感情状態と思考)は心理療法の大事な要素となります。

 

  とはいえ、心理療法においては、来談者に害を及ぼさないことが基本であり、一切傷付けないことが理想です。

 

 それは間違いないことであり、専門家に求められて当然のことですし、また、臨床心理士であれば誰もが心がけていることだと思います。

 

 それでも、残念ながら傷付きが生じることはあり、この場合、臨床家は申し訳なく思い、苦しんでもいるものです。しかし、それだけではなく、同時に心理療法を深めるチャンスだとも捉えています。

 

 以下、少し詳しい説明です。

 

 なお、臨床家から来談者への単なる暴言等はもっての他であり、議論の対象にもならない為、こういった場合は除いた説明となります。

 

 また、臨床心理士/精神科医ではない、非専門家によって行われた面談での傷付きや、有資格者によるものであっても、きちんとした治療契約も時間の確保も無しに行われた面談での傷付きは除外した説明になります(そもそも心理療法/カウンセリングになっていない可能性が高い為)。

 

 それでは説明をはじめます。

  

 当然のことですが、通常、臨床家には来談者を傷付ける意図は無いものです。

 

 来談者が傷付いて、そのまま心理療法が終わるということも通常はありません(傷付いて終わっているならば、それは終結ではなく中断です)。

 

 しかし、実際に傷付いた人がいるのは何故でしょうか。

 

 1つ、これは単純な事実なのですが、一方が心理の専門家とはいえ人間同士、相性というものは存在し、残念ながら、100%、心地よい時間のみを提供する、というのは非常に難しい(おそらくは不可能)という現実があります。

 

 相性というものは、ラポール(信頼)形成にも関係する可能性があり、相性が良ければ比較的早く信頼感が生じるでしょうし、そうでもなければ一層の時間を要すことになるでしょう。

 

 そして、同じ言葉であっても、ラポールの有無/強度により、その言葉は違った意味を持ち、ある人は笑って納得し、ある人は酷く不快に思って傷付きとなる、ということがあり得ます。

 

 また、ある一群の障害を持つ方々の場合、突如として、それまであったはずのラポールが消し飛び、反転し、臨床家の言葉に悪意という色付けをしては傷付くということがあります。この場合、まさにこの反転と傷付きこそが来談者を困らせる中核課題と言えます。

 

 なお、反転が生じる様な状態をそもそも「ラポール」と呼べるのか否かに関しては、また別の議題になるため、割愛します。

  

 もう1つ、大きな要因として中断が挙げられます。

 

 臨床家との話し合い無しに来談をやめてしまっている場合はもちろん、中には入院を要し、それまで関わっていた臨床家と別れざるをえない場合や、どちらかの転居により会えなくなる場合などもありえます。

 

 入院施設の無い場に通っている方が入院を要する場合、その方の身体的安全を考えれば転院もやむを得ないケースがあるのですが、当の来談者にとっては見捨てられ感が生じる等し、傷付き体験となる事があるのです。

 

 その他、来談者が望むような反応を臨床家が示さないことによる傷付きや、来談者自身がまるで自覚していなかった事に直面した際の傷付き等もありえます。

 

 また、早過ぎる終結(主訴は解決したものの別れの準備は出来ていない等)においても傷付きが生じることがあります。

 

 この早過ぎる終結に関しては、来談者に出来るだけ時間/費用/労力をかけさせないことを美徳とし、それは来談者も望んでいることだと信じている臨床家も多いものですから、是非、率直に「まだ終結の準備が出来ていない」と伝えてあげてください。臨床家は、その思いもしっかりと扱うはずです。

  

 このように、実は、心理療法の過程で傷付きを体験する事は少なくないのです(あくまでも「過程で」というのがポイントです)。また、むしろその傷にこそ、来談者の心理を考える鍵がある場合が少なくないのです。

 

 以下に、より具体的、専門的な説明を記します。

 

 心理療法では、それまでの自分の見方や考え方の偏りに直面すること、そして、その変容を要すことがあります。

 

 偏りへの気付きや、その変容過程は、今まで慣れ親しんだ思考法に風穴が開くような体験であり、この最中、傷付きを感じる方も在るかもしれません。

 

 しかしこの体験は、新たな見方/生き方の獲得に繋がる1つのプロセスであり、傷よりも希望をもたらすことが多いと言えます。

 

 また、繰り返しになりますが、来談者の抱える障害/疾病特性として、むしろ必ず傷付き(危機)が生じるケースがあります。この場合、まさにそこ(傷)からが勝負所となるのですが、残念ながら中断に至る事も少なくなく、この為、傷付き体験が最後に残るという事になります。

 

 実の所、この危機を、まさに傷付きの要因となったその臨床家と扱い、傷付いた文脈には他の意味がある可能性はないのか、臨床家の言動は本当に来談者が感じた通りの意味であったのか等、その文脈/意味を再考し、健全に再構築して行くことが非常に重要な心理療法過程なのです。

 

 ここに「共構築」という、健全な対人関係において不可欠な要素が浮上します(対人関係の破綻が多い方の場合、自分の感じたことが絶対と認知されていること=他者の心理と文脈の無視/未知が多いものです)。

 

 こういった作業は一般の対人関係では非常に難しく、関係が切れやすいものです。そこを切らずに怒りや悲しさを感じながらも再考をやりきれる事が心理療法の大きな意味の1つであり、来談者自身を苦しめるパターンを変化させる絶好機なのです。

 

 まさに「ピンチはチャンス」であり、その傷付き(その認知パターン)こそをしっかりと扱いたいと、臨床家は願っているものです。

 

 ですから、もし傷付きを感じた場合は、「行かない」と回避的な結論を出すのではなく、むしろそういった時こそ面談し、是非ご自分の臨床家と話し合ってみてください。

 

 当方の場合、心理療法は無理強いするものではないとの前提から、来談者自身に来談の意欲が無ければ臨床家はそれとして受け入れます(そこに問題意識を持ちつつ、来談継続を促しつつも、最終的には来談者の意思を尊重します)。

 

 反面、来談意欲と目的意識さえあれば、懸命に努めさせていただきますので、もし傷付きを感じたのであれば、是非お知らせいただきたく思っています。

 

 「ピンチはチャンス」であり、そこを越えた先に「変化成長」が現れるものです。厳しい作業ではありますが、その過程には新たな発見もあり、その厳しさに見合った(またはそれ以上の)成果がありえます。

 

 つまり、傷付くことはあっても、その傷も心理療法過程に現れた重要な心理として扱い、心理療法を「やりきる」事が求められるのです。これが出来ていない場合、傷のままになってしまうと考えられます。

 

 入院による転院などの場合、以前の臨床家と「やりきる」事は出来なくなりますが、以後の臨床家と「継続してやって行く」ことが重要です。

 

 例外として、非常に稀なケースですが、「心を扱いたくないのに扱って傷付いた」などの訴えがあります。

 

 これは「塾に行ったら、勉強なんてしたくもないのに勉強をさせられて傷付いた」と訴えているのに似ています。

 

 この場合、そもそも心理療法/カウンセリングのご利用には適さないということになります。

 

 当方の場合、純粋な行動療法での対応や、抱え環境の提供等は可能ですが、心理療法を標榜している以上、心理(思考/感情/行動/記憶/関係性など)を扱う事は前提されてしまいますので、「心理や思考は扱いたくない」などという場合、その旨、来談当初にお伝えください。

 

 臨床心理士に出来ることは、臨床心理学的対人援助(査定/面接/地域援助/研究/コンサルテーション)に限られますので、その他のご要望には、より適切な施設の紹介をはじめ、可能な支援が提供される事になると思います。

 

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